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歴史で着目すべき点 ニュース記事に関連したブログ

2012/01/06 00:43

 

よくテレビで見かける歴史好き、歴史得意と言っている人はだいたい

「戦国時代、幕末」(または三国志

が好き、得意という。

そして、語っていることが「線」ではなく「点」ばかりだったりする。

全員とは言わないが、

たぶん、

「なぜ戦国時代になったのですか?」

「徳川幕府の終わりのきっかけは?」

と聞いても答えられないだろう。

 

この記事の方がどういう方なのかわからないが

何か同じニオイがしてしまう。

別にウラミがあるわけではないが・・・。

 


ちょっと余計なことを書いたが本題は

「歴史を見るときに意外と忘れてしまうこと」

でして・・・

 

>女子目線で歴史上の人物を解剖する得意技を生かし、

「温和でも決断力のある上司=真田幸村」など、

その解説は独創的で注目を集めているが、

「目標は子供にも教えられる歴史のおねえさん。

学問じゃなく、ドラマのように楽しんでほしい」と気負いはない。

(記事より)

 

この部分をよく読んでほしい。

最近の歴史ドラマなどはこの部分が「やりすぎ」になっている。

 

歴史を見る時、当時の出来事や人物だけを見て理解しようとすると

大きな落とし穴にはまることがある。

僕たちは「過去」を見ているはずなのに

都合のいい部分だけ「現代」にあてはめてしまうのだ。

 

例えば、昔、部下に殺された武将がいたとしよう。

これを見たとき、

「なんて忠義のない部下だ」と

その部下は悪者と現代では認識されるだろう。

でも、その時代に「忠義」という概念自体がなかったらどうだろうか。

その時代ではこういったことは「当たり前」だったかもしれない。

 

もう一つ、昔、大国に戦を仕掛けた小国があったとしよう。

なんて勇ましいだとか、なんて無謀なんだと現代では感じるかもしれない。

でも、その時代、その小国は内からも外からもいろいろと追い詰められていて

どうしようもない状態だったとしたらどうだろうか。

その時代ではその戦が「やるしかない選択肢」だったかもしれない。

 

このように歴史を見るときは、

当時の価値観や社会性、流行っていた学問、国内外の事情などを知らなくてはならない。

 

記事にあった

「女子目線で・・・」

というところからして、いきなり落とし穴にはまっている気がする。

 

また記事の中の

「学問じゃなくてドラマのように・・・」

という部分がとてもひっかかった。

 

歴史に興味を持つキッカケにするのにはいいかもしれないが

これで終わる人がほとんどだ。

 

これで終わってしまうとよろしくない。

 

ドラマの場合、

普通の歴史ではなく、

手が加えられたり、個人的な空想が入っていたり、

少数意見の仮説だったり、上で言った落とし穴にはまっていたり

とひん曲がったものが多い。

これだけ知って、すべてを知ったような顔をする。

 

キッカケとしてはいいかもしれないと言ったが

できるだけ「はじめて」見るものにしないほうがいい。

 

歴史の中で「真実」という部分が重要になってくるケースもある。

でも、いくらしっかりと記録されていても

「真実」など誰にもわからない。

 

じゃあ、真実はどこにあるのか?

それは「あなた自身」にあると言える。

 

歴史を解釈する上で「真実」は

結局その歴史を解釈した個人個人にある。

その個人が「こうだ」と思えば、それが「真実」なのだ。

 

その解釈で一番重要なのが、

「一番はじめに出会った歴史書(映像も含めて)」だ。

はじめの印象はとても残るし、同じ時代の本を読んでも

ベースがはじめに読んだものになる。

「はじめ」がとても重要なのだ。

 

ねじ曲がった歴史ドラマなどが「はじめ」だとよろしくない理由はそこにある。

 


国内の歴史ですらこんなにも難しいのに

三国志となるともっとハードルが上がる。

 

理由はいくつかあるが、重要なのは2点

①日本でよく知られているのは「三国志演技」であり、歴史の三国志とは異なる

②日本と中国で価値観が全く異なり、しかもかなり昔なので時代背景を知るのが困難

 

得意というからにはこの辺りを解説してもらいたいね。

(別にウラミがあるわけではないんですよ)


最後に・・・

歴史が得意となるとだいたい

「戦国時代、幕末」

となる。

この部分がそろそろ悲しい。

 

以前、ブログで歴史教育について書いたが

歴史はもっと近代に目を向けるようにすべきである。

特に触れたくはないかもしれないが

太平洋戦争は「ナチュナルな姿勢」でもっと知るべきである。

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コメント(2)

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2012/01/07 19:04

Commented by 影法師 さん

 「過去」と「歴史」を分かつのは、視点の起点が「主観」であるか「客観」であるかだと思います。

 もちろん、歴史に対する思い入れの強さから、その世界を知りたいという欲求が生まれてくるのでしょうが、いくらそこに思い入れをしたって残念ながら歴史なんてものは自分の都合の良いように動いてくれない、ということに嫌でも気が付いてしまう宿命を持っている。
 それは現実と全く同じ世界で、だからこそ歴史を知る価値があるのでしょうね。

 真田幸村も石田三成もれっきとした人殺しですが、それを第一に考えないのは、現在の自分の周りの状況と切り離して考えることに抵抗を覚えないからでしょう。人殺しを嫌悪するくせに、もっと多くの人物を殺めた歴史上の英雄に好意を持つというのは、当たり前のように見受けられることでもあります。

 その点、歴史が現在に近づけば近づくほど、かえってその時間の短さが仇となる。ある意味風化し切れていない昭和初期が、いまだに歴史として徹し切れていないのは、事実を理性として受け入れるのではなく、感情として捉えようとする傾向が強いからではないでしょうか。

 少なくとも当時の大日本帝国が「大東亜共栄圏」の確立を大機名分に掲げて戦った戦争なのに、歴史を学ぶ上においてもその名を用いて示すことも許されないのは、それを証明していると思います。

 
 

2012/01/08 20:05

Commented by kurenainokaba さん

To 影法師さん

コメントありがとうございます。

>歴史が現在に近づけば近づくほど、かえってその時間の短さが仇となる。

この部分は私の頭の中にありませんでした。
「過去=すべて歴史」として捉えてしまっていたため、近代とそれよりも前の歴史を同等に扱っていました。
私にとっては新しい考えであり、とても参考になりました。
ありがとうございました。
次からそのことも考慮して歴史について考えてみたいと思います。

 
 
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