安全を過度に重視することで生活の質を損なうことがある。
生活の質を損なえば人生にも影響する。
ここから書くことは個人によって考えが分かれることなので断言はしませんが・・・
「何のために生きているのか?」
安全の問題を考えるとき、ふと思う時があります。
「生きるために生きている」
もちろん、正解だと思います。
でも、そればかり重視してしまい、
いつの間にか
「人にとっての幸せ」
を逃してしまっている人がいるような気がします。
毎日、大きなマスクをして、自分の通る道を計測器をもって測り歩き、
「あっ、ここは0.01高い!危ないからこれからここは今後歩かない!」
などと言い、
食べる物はすべて検査センターへ持っていき、
高いお金を払って分析。分析結果はほとんど検出せず。
今までは残留農薬ばかり気にしていたのにそのことも忘れて今は放射能・・・
もちろん、「これが生きがい」というのなら止めません。
でも、こんなことをしてまで生きながらえたといって
その人生ってどうなんでしょうか。
安全のことを考えるとき、ふと
「何のために生きるのだろうか?」
と思います。
「より長く生きる」
より
「より良く生きる」
もっと、いい意味で「気を抜いて」生きたほうがいいような気がします。
野菜でも放射能を放っていれば「害虫駆除済み」「殺菌されている」ぐらいの考えでもいいんじゃないでしょうか。
(追加)とある人に言われたので・・・
安全を声高に叫ぶ人は言う以上は徹底してもらいたいです。
子供の被ばくが危ないから外で遊ばせない・・・気持ちはわかります。
でも、家の中で閉じこまるデメリットと放射能のリスクについて天秤にかけて検討していますか?
仮に放射能汚染がなくても外で遊ぶリスクはあるわけで、交通事故、転倒、感染、誘拐・・・要するに100%安全など生きている以上ないわけです。
それでもゼロリスクを求めますか?


by kurenainokaba
歴史で着目すべき点