今回の事故はとても痛い。
食を通じて人が亡くなるのはとても悲しい。
今回は食の安心・安全について考えてみた。
食の安心・安全は年々意識が向上し、
もはや必要ではないところにまでどうでもよい手がまわっているのが現状ではないだろうか。
こんなにも食の安心・安全の意識が高いにも関わらず、
今回の件に関わらず生肉を平気で食べるというよりリスキーな行動をするのはなぜか?
生肉もそうだが、野菜だってそうだ。
より素材を味わうために生で食べる・・・有機栽培だから生で食べられる・・・有機栽培だから安心・・・
「食の安心・安全」を考える上でまず「安全」を最優先しないといけないと思う。
なぜならば「安心」は心からくるもの、感じるものだからだ。
(たとえ「危険」であっても「安心」と感じればそれは「安心」となってしまうのだ)
要するに人によって「差」が生まれるのだ。
一方「安全」は人による「差」が極めてゼロに近く、科学的なものと言える。
☆ポイント
「安全」≠「安心」
科学的:「安全」 逆は「危険」
精神的:「安心」 逆は「不安」
①「安全」で「安心」なものを食べる ⇒ 死ぬ可能性低い
②「危険」だが「安心」なものを食べる ⇒ 死ぬ可能性あり
③「安全」だが「不安」なものを食べる ⇒ 死ぬ可能性低い
④「危険」で「不安」なものを食べる ⇒ 死ぬ可能性あり
※特に②と③を見てください。
では「食の安全」を考える上で何が重要か。
それは「毒性」だ。
毒性はその早さで簡単に2つに分けることができる。
・急性毒性
・慢性毒性
簡単に言うと
急性毒性は食べたらすぐ死んでしまったり、病気になるような毒性
・・・(例)食中毒、青酸カリのような毒物
慢性毒性は食べ続けたり、食べてからしばらくたって出てくる病気や死亡。
・・・(例)発がん性、奇形リスク
「食の安全・安心」を考える場合、もう一つ「品質」というものがある。
品質の意味は幅広いので
今回、ここで言う品質は
「人体に影響を与える以外の要因で品質と言えるもの」
と定義させてもらうと
(あくまでここだけの定義です)
近年の優先順位は
品質 ≧ 慢性毒性 ≫ 急性毒性
になっていませんか?
例)消費者行動の一例を消費者心理から上記の3区分に考えてみると
品質:誰が作ったか顔表示があるといい・・・①
天然から作ったとあったのでいいと思った・・・②
慢性毒性:食品添加物は怖いから入っている量の少ないものを選んだ・・・③
遺伝子組み換え食品は避けたい・・・④
急性毒性:とりあえず冷蔵品を選択した・・・⑤
とりあえず冷蔵庫に入れてみた・・・⑥
解説)
①は顔表示があると安心するかもしれない。
でも顔が表示されていても食べて死なない保障はない。
(責任という意味では意義があるかもしれない)
②は天然から作っても安全であるかどうかはわからないので。
③は食品添加物は法的にも縛りがあり、許容摂取量が設定されていることもあるので急性毒性には属さない。
(慢性毒性にも属さないと思うが世間一般的にということで)
発がん性はない(と思う)が、みんなが気にしているのは発がん性だろう。
なので「気にしている」という消費者目線からあえて慢性毒性に入れてみた。
④も同じ。「将来なにか起こるかも」という漠然とした不安を考慮して。
※食品添加物と遺伝子組み換え食品は言いたいことがあるのでまた別の機会で・・・
⑤は静菌効果を無意識に感じていて、対応するリスクは食中毒なので急性毒性とした。
⑥も無意識に「菌の発育」を感じての行動。
食の安全を考える上で本来なら
急性毒性 > 慢性毒性 > 品質
とならなければならない。
もちろんどれも重要だが
最も重要なのは急性毒性をいかに防ぐかだろう。
だが、現実は異なる。なぜか・・・
急性毒性は食品添加物の発達、保存技術・運搬技術・加工技術の向上によって高度に予防されている。
上記の活躍により、食の分野の急性毒性(食中毒)はかなり減少したのではないだろうか。
ただ、あまりの減少に急性毒性のことを忘れ、さらには上記の活躍すらももう目に入っていないのではないか。
そして、いつの間にか何の努力もなく急性毒性の予防はいかなる場合も保証されると思い込んでいないか?
いろいろな技術が向上し、生活も豊かになれば「食の安心・安全」を追及してもいいと思うし、追及すべきだと思う。
ただ、基本的な優先順位だけは忘れないでほしい。


by kurenainokaba
歴史で着目すべき点